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李景亮(りけいりょう)は唐の官吏。李章武(りしょうぶ)の幽婚譚(『太平広記』巻340「李章武」)の作者。 その仕履は不明な点が多く、徳宗の貞元10年(基督教暦795年)12月に制挙の一である詳明政術可以理人科(しょうめいせいじゅつかいりじんか)に擢第した事と〔『唐会要』巻76。〕、憲宗の元和末年(元和は20年(基督教暦820年)迄)には翰林待詔(かんりんたいしょう)の官にあって左司禦率府(さしぎょそつふ?)の長史を授けられた事が知られるのみである〔『白氏長慶集』巻51。〕。 なお、宋代に張読(ちょうどく)の伝奇小説「李徴」(『宣室志(せんしつし)』所収)を脚色した話本「人虎伝」が行われてその撰者とされ、明や清代に小説「人虎伝」を収めた伝奇叢書の多くもその撰者を李景亮としているが、これらは偽託と見られている〔今村与志雄『唐宋伝奇集(下)』「李徴が虎に変身した話」訳注、岩波文庫、1988年。張は太和の8年(834)乃至9年の生まれで李より後の時代に属す。なお、詳しくは「李徴」参照。〕。また、宣宗の大中9年(855年)3月の宏詞(こうし)の考試で題目の漏洩が発覚し登科の10人が均しく下第、関係者が処罰されるという事件があり〔『旧唐書』宣宗本紀大中9年3月条。〕、その発覚は日官(にちかん)であった李景亮の奏上に因るものであったというが〔『南部新書』戊巻。〕、この日官は同名の別人らしい〔王夢鷗『陳翰異聞集校補考釋』(藝文印書舘、中華民國62年)「碧玉檞葉」解題。〕。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李景亮 (唐)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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